それは、私が多分16歳の時のこと。
いつも通りの穏やかに晴れた日のことだった。
その日は、久しぶりに両親の仕事の都合で首都サイロンから、別の都市へ一ヶ月程でかけることになっていた。
宿泊先は偶に利用する『狩屋』というバー兼宿泊施設だった。一階のラウンジはバーになっていて、二階が宿泊施設。
馬車で森に入った頃には既に午後を回っていた。
少し馬車から降りて休憩をとることになった時、弟のリチャードがまたうろうろして迷子になった時の為に、手のひらにペンで『狩屋』と書いた。
リチャードは目を離すと直ぐに何処かに行ってしまう。まるで三歳児のように。
元気がいいのはいい事だが、私は心配でならかった。
「ふーっ。やっと一息つけるぜ。…ったく、兄貴はいちいちウゼーんだよな」
(まぁ、俺のこと心配してくれてんのは解るんだけどさ…なんていうか、ブラコンも大概にしてくれって感じ?
しかも手の平にこんなでっかく書かなくったって、宿屋の名前くらい忘れないってーの!)
私はその時、何故ついて行かなかったのかと心底後悔することになった。
夕方になってもリチャードは帰ってくる気配はない。
父も母も心配はしていたが、そろそろ出立しなければ、直に狼が出る。
夜の森は大変危険だった。
だからなおさらリチャードを探しに行きたかったが、私まで戻ってこなくなったらと母に止められた。
「リチャード、何処で何をしているんだ…」
そんなことばを父が吐いた時だった…それは起こった。
突然、馬車の中に聞こえた悲鳴…勿論、それは紛れもない父と母の声。
え?一体、何が起こって……。
間髪を入れずに、それは直ぐに解った。この馬車が何者か――それは盗賊だった――に襲われていたからだ。
父と母は御車台に乗っていた……。
『奪え!』その号令が聞こえたかと思うと、ホロ付の荷台に盗賊たちが押し寄せてきた。
数人の持っていた剣やナイフには夥しい血がべっとりと付着している。
まさか……。
「ガキが居るぞ」
「中々、綺麗な顔したガキだな…高く売れるんじゃねぇか?」
下卑た笑い声と、野太い男たちの話し声。
恐怖のためか内容は上手く聞き取れなかった。
ガタガタと震える私に、鋭いナイフの切っ先を突きつけて…。
殺される!
そう思ったその時、
「おい!こっちにもガキがいるぞ!!」
外から仲間の一人の声が聞こえた。
同時に、よく聞き慣れた弟の声も。
「離せ!離せよ!ちくしょうお!」
多分、仲間の誰かに捕まって暴れているらしいことはよくわかった。
けれど、私の状況は何も変わらなくて…。
「こいつはどうする?」
「殺しとけ…こんなうるさいガキは邪魔なだけだ」
「中のガキの方は売り物になりそうだからな、傷つけるなよ!」
「わかってますぜ、おかしら」
なんとかしてリチャードを助けなければ!!
そのことで頭の中がいっぱいだった。
けれどこの現状をどうすることもできなかった。
突きつけられたナイフに、大男数人。
何人かは積荷を物色して持って行った。
多分自分たちの馬車に乗せ変えているんだろう。
早く何とかしなければ!!
リチャード!
そう思ったときに聞こえた悲鳴。
「ぎぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」
けたたましいその悲鳴は………紛れもない、弟リチャードの……。
「リ、チャード…」
掠れた声で、呟いた弟の名前。
「ん?何だ、お前の弟だったのか?あの生意気なガキは」
盗賊が言ってきた言葉は、聞こえていたが、理解はできなかった。
耳が聞いている音を、脳が理解できない。いや、したくなかったのだきっと。
それから私は後ろ手に縛られ、連れて行かれそうになった時に、それを見てしまった。
無残に殺された両親と、リチャー…ド。
信じたくない現実。
うそだ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……誰か、嘘だと言ってくれ…。
こんな現実は嘘だと。
これから自分がどうなるかよりも、殺された両親と弟の惨たらしい死体が…目に、脳裏に、焼きついて離れない。
嘘だと言って欲しい。
こんなことは。
そんな折…偶々通りかかったのだとしゃあしゃあという怪しい男。
盗賊のいかつい男どもに囲まれても刃物を突きつけられても動じることもない。
身長はかなり高い。
いかつい男たちと然程変わらない。そして、私と同じ白髪。
目深にフードを被っていた為、どんな顔立ちかは解らなかった。
「ふーん、君たち、もしかして盗賊?」
「もしかしなくても見れば解るだろ」
この時ばかりは盗賊の男の声に何故か同意してしまった。
怪しい男は、暢気な口調で確認すると、
「じゃあ、ぶっ倒しても平気だねぇ」
そんな言葉をはなったかと思うと…何故か何人にも増えていた。
盗賊の男たちは構わず攻撃するが、悉く当たらない。
それに何故かスカっとすり抜けてしまう。
目の前に信じられない光景が広がっていた。
そして、何人かのうち一人が…多分それが本物だったのだろうけれど、私の後ろに居た男を肘鉄で気絶させると、私の後ろ手のロープを解いてくれた。
「さぁ、今のうちに…あの目くらましはそんなに長く持たないんだから!」
「え、でも、弟が…リチャードが!」
「あれは、もう死んでるでしょ?どうみても。流石に死んだものを生き返らせる術は持ち合わせていないからねぇ」
私が否定したくて仕方なかったことを、さも当然と言わんばかりにあっさりと男は告げた。
「っ……」
「さ、行くよ」
ショックにうちひしがれる間すらなく、その男に手を引かれ、私は逃げるように森を去った。
リチャード!!父さま母さま……。
そんな思いを残して、男に連れられるままに訪れた国。
話にはきいたことがあった…ツール職人の居る国、赤のクランゼタール。
「あの、此処は一体…クランゼタールはツール職人が居ると聞いたことはありますが…」
「ん?あぁ、自己紹介すらまだだったっけね?僕はアシル、アシル・ジャフィート・エト・ガルパだよ。これでもクリエーターでね」
「アシルさん…は、クリエーターなんですか!?」
驚いたこの怪しい男がクリエーターだということに。けれど、それで合点がいく。
さっき私を助けてくれた時につかったトリックは…ツールによって作られたものだったんだ。
「うん、そうだよ。ツールが僕に合わなくてね。作り直して貰ったんだけど、その時にコレ返すの忘れちゃっててね」
そういって、本を私に見せた。
「これ、見てもいいですか?」
「どうぞ」
アシルさんから本を受け取ろうと、触れると、本の表紙に嵌め込まれた宝石がポゥッと光った。
「ふむ、君、素質者みたいだねぇ」
「え?」
「クリエーターになれる素質を持っているってことさ。しかも、こんなに強い光は稀だね」
「私が、クリエーターになれる…?」
それは、願ってもないことだった…だが、本の宝石が光ったくらいで解るのだろうか?
「これは、ツールだよ。私には合わなかったが…そうだ、返すつもりだったけど、君に使えるように職人に頼んであげよう」
「いいんですか?私はさっき会ったばかりで…というか、助けて貰ったのに、まだ何か頂くなんて悪いです」
「子供が遠慮することはないさ。子供は我侭なくらいで丁度いいんだよ」
そういうとフードを外して、ぽんと私の頭に手を置くとにこやかに笑った。
開いた瞳は私と同じ赤。
フードを被っていると怪しさ大爆発だが、外した後に現れた顔は思いもつかない程に綺麗だった。
あ、いや、男性に綺麗だなんて形容は変だろうか?
「あぁ、そういえば、君の名前をきいてなかったね?」
「私は、フィリップです。故あって、ファミリーネームは明かせませんが…」
「ふーん、まぁ、別に僕は他人のファミリーネームに興味はないけれど…」
本当に興味なさ気な声でそういうと、さあ行こうかと歩き出した。
でも、この人は何で助けた見ず知らずの子供に親切にしてくれるんだろう?
家族を一度に亡くした私に、彼はとても親切で。
怪訝には思っていたが、彼…アシルさんを、私は何故か懐かしく感じていた。
言動は多少変だったり、性格もつかめない変わった男だったが、何故か彼と一緒にいると落ち着く。
家族と居るときに感じていた安堵感を、彼は私に与えてくれる。
知り合ってまだ数時間だというのにだった。
不思議で仕方なかったけれど…私は彼に頼るしか、一人で生きていくにはまだ何も知らないできない子供だった。
仕事もお金もない、帰るべき家もない…旅の荷物すら。
あの盗賊にとられてしまった。
フィリップの過去その1。少し長いので、分けます。